2013年には右太腿の肉離れと腱損傷で、2014年には右膝半月板損傷の影響で長く代表から遠ざかっていた鮫島彩選手。
2014年10月のカナダ遠征からようやく代表復帰しました。
2016年はなでしこジャパン自体の歯車が合わず、リオ五輪出場を惜しくも逃してしまいましたが、まだまだ代表でのプレーが見たいものです。
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鮫島 彩選手のプロフィール
(さめしま あや)
生年月日:1987年6月16日
年齢:29歳
出身:栃木県河内郡河内町(現・宇都宮市)
身長:163cm
体重:53kg
血液型:A
愛称:さめ
所属チーム:INAC神戸レオネッサ
ポジション:MF、DF
背番号:3(INAC神戸レオネッサ)
利き足:右足
常盤木学園高等学校卒(宮城)
高校の後輩に同じくなでしこジャパンの熊谷紗希がいる。(3つ下)
鮫島彩選手の経歴
小、中学校時代(1994年?2002年)
小学校1年生のとき、兄の影響でサッカーを始める
中学まで栃木県の河内SCジュベニールでプレイ。(5年先輩に安藤梢がいた)
「全国少年少女草サッカー大会」では98、99年の2年連続、優勝と優秀選手に輝いた。
常盤木学園高校時代(2003年?2005年)
1年生からレギュラーに抜擢される。
高校では攻撃的MFのポジションだった。
スピードに乗ったドリブルを得意としていた。
成績は全国大会出場(8回)、準優勝(3回)。
U-18日本代表にも選出される。
東京電力女子サッカー部マリーゼ時代(2006年?2011年)
2006年
マリーゼ入団。
プロ契約ではないのでサッカーをするかたわら、東京電力福島第一原発で事務員の仕事をしていた。
2008年
なでしこジャパンに初選出。サイドの突破力を買われ、MF(ミッドフィールダー)から左サイドバックにコンバートされた。
ボストン・ブレイカーズ時代(2011年6月?2011年8月)
2011年1月
東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発事故の影響で、マリーゼが活動を自粛。
サッカーを続けていくか悩んだ末、元チームメイトであったアメリカ人選手の誘いを受け、海外移籍を決断。
WPS(アメリカ女子プロサッカーリーグ)のボストン・ブレイカーズに移籍。
2011年6月
ドイツ女子W杯で優勝(男女全世代通じて初)。
全試合、スタメン出場を果たす。
安藤梢と共に栃木県県民栄誉賞を授与される。
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モンペリエHSC時代(2011年9月?2012年6月)
2011年9月
フランスのモンペリエHSCと2年契約を結ぶ。(本人にとってプロ契約は初)
チームでもレギュラーとして活躍するも1年で退団。
モンペリエ退団の理由は『元同僚たちと再び一緒にプレーしたい』。
※移籍先のベガルタ仙台レディースは、東京電力女子サッカー部マリーゼの選手(18名)を受け入れて発足したという経緯がある。
ベガルタ仙台レディース時代(2012年7月?2014年12月)
2012年7月
ベガルタ仙台レディースへ移籍。(チーム初のプロ契約選手)
2012年8月
ロンドンオリンピック出場。サッカー日本女子代表初となるメダル(銀メダル)を獲得。
2013?2014年
度重なる怪我。ヒューストン・ダッシュへの半年間の移籍が決まっていたものの、立ち消えとなる。
INAC神戸レオネッサ時代(2015年1月?)
2015年1月
INAC神戸レオネッサに移籍(プロ契約)
6~7月、ワールドカップカナダ大会、準優勝。
左SB、左MFとして出場。
2016年
2~3月、リオ五輪アジア最終予選で3位となり、オリンピック出場を逃す。(1位豪、2位中国の2カ国が出場権を得た)
2017年
3月、アルガルベカップ2017で、全試合に出場(うち4試合中3試合でスターティングメンバー)
2勝2敗、6位で大会を終える。
3月31日、キリンチャレンジ杯(コスタリカ戦、熊本)のメンバーに選ばれていたものの、怪我により辞退。
コメント
鮫島彩さんの大ファンです(^^)試合中の鮫島さんも好きですが、とにかく可愛い大好きです。付き合いたい位の気持ちです(^ー^)美人 そんな事言ったら怒られちゃいますね とにかく応援してます。頑張れサメちゃん(o^-^)尸q(*・ω・*)pファイト!ヒ?ハ?(^◇^)