【画像】なでしこジャパン 山根恵里奈選手のプロフィールと経歴
日本サッカー協会(JFA)が未来のなでしこGKを育成する目的で立ち上げた『スーパー少女プロジェクト』で選ばれた山根恵里奈選手。
今やなでしこジャパンに欠かせない選手に成長しました。
そんな山根恵里奈選手のプロフィールと経歴をどうぞ。
山根恵里奈
(ヤマネ エリナ)
生年月日:1990年12月20日
年齢:26歳
出身:広島県広島市南区
身長:187cm
体重:76kg
血液型:O型
愛称:えりな
所属チーム: ジェフユナイテッド市原・千葉レディース⇒ベティス(スペイン女子1部)
ポジション:GK
背番号:17(ジェフユナイテッド市原・千葉レディース)
利き足:右足
足のサイズ:28.5cm
趣味:珈琲を飲みボーッとすること
試合前のゲン担ぎ:(練習の時から)ソックスを左足から履くことと、グローブを右手から付けること
出身小学校:広島市立宇品東小学校
出身中学校:広島市立宇品中学校
出身高校:福島県立富岡高等学校卒業(JFAアカデミー福島)
学歴:
広島市立宇品東小学校 ? 広島市立宇品中学校 ? 福島県立富岡高校
所属クラブ:
宇品東少年SS ? 広島大河FCレディース ? 広島女子ユース蹴命FC(U-15女子広島トレセン) ? フレッチェスクール ? JFAアカデミー福島 ? 東京電力女子サッカー部マリーゼ ? ジェフユナイテッド市原・千葉レディース
代表初出場:
2010年1月15日、ビセンテニアル杯チリ戦
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山根恵里奈選手の経歴
小学3年生のとき、当時から背が高かったのでバレーをしようと思ったが、当時宇品東小にバレー部がなかった。
担任に相談したところ、サッカー部を勧められて、宇品東少年SSに入団。
2003年、広島市立宇品中学校に入学。
サッカー部には所属せず、広島大河FCレディースでプレー。当時はDFだった。
2004年、中学2年生のときに、日本サッカー協会(JFA)が未来のなでしこGKを育成する目的で立ち上げた『スーパー少女プロジェクト』の一員に選ばれた。
これがきっかけでGKに転向。
U-15女子広島トレセン、『広島女子ユース蹴命FC』に選出。
全日本女子ユースサッカー選手権大会 (U-15)に出場。
2005年、サンフレッチェ広島下部組織の女子スクールにあたる「フレッチェスクール」に短期間ながら通う。
中学3年間で身長が21cm伸びる。(184cm)
2006年、JFAアカデミー福島に1期生として入団。同時に、福島県立富岡高等学校に越境入学。
2007年、AFC U-19女子選手権
2008年、2008 FIFA U-20女子ワールドカップ
日本はベスト8で北朝鮮に0-1で敗れる。
チームには現在、なでしこジャパンで活躍中の宇津木瑠美、田中明日菜、永里亜紗乃らがいた。
2009年、東京電力に就職。東京電力女子サッカー部マリーゼに入団。
12月、なでしこジャパンに初選出。
2010年、1月15日ビセンテニアル杯 対チリ戦でなでしこジャパン初先発。
7?8月、U-20女子ワールドカップに出場。日本は予選リーグ敗退。(1勝1敗1分)
(写真はU-20女子ワールドカップ前、ドイツ遠征時のもの)
2011年、東京電力女子サッカー部マリーゼが福島第一原発事故の影響で活動を自粛。
9月28日、マリーゼが正式に休部。
山根恵里奈自身も足の疲労骨折や腰のヘルニアなどがあり、1年以上、サッカーから離れざるを得ない状況となる。
2012年、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースに入団。
ロンドン五輪のバックアップメンバーに選出。
2013年、アルガルベカップメンバーに選出。
2014年、5月 アジアカップ初優勝に貢献。
なでしこリーグ、リーグ戦フル出場。
2015年
3月、アルガルベカップメンバーに選出されるも、12チーム中9位に沈む。
6~7月、W杯カナダ大会メンバーに選出。準優勝を経験。
当初、正GKとの声もあったが、初戦のスイス戦で右肩を脱臼し、出場はその一試合に留まる。
8月、東アジアカップに出場。1勝1敗1分で終える。
2017年
7月1日付けでなでしこリーグ千葉を退団
7月14日、スペイン女子1部のベティスに移籍することが報告された
山根恵里奈選手のエピソード
2011年、東日本大震災、原発事故の影響で東京電力女子サッカー部マリーゼが無期限の活動停止を発表しました。
しかも、山根選手自身も合計3度にも及んだ足の疲労骨折、ヘルニアによる腰痛も重なり、一時は「もうサッカーはできないな」と諦めかけたそうです。
それでも、彼女が再びピッチに戻って来たのには、「恩返しをしなければ」という気持ちがあったからだそうです。
「震災後、ボランティア活動に参加する機会がありました。
楢葉町役場のお手伝いに行ったとき、何人かの方に『サッカーやってんの?』と聞かれて、怪我もあったので返事に困っていると、『また応援に行くから、怪我を治して』と言ってもらえたんです。
アカデミーを卒業してマリーゼでプレーしていた私は、東京電力社員である前にサッカーをやってる子だったんです。
そのとき、私が一番やらなきゃいけないのは、私のプレーを楽しみにしてくれている人のために、もう一度ピッチに立つことだと思ったんです。
それが恩返しになるって」
その想いを胸に山根選手は2012年、ジェフレディースに移籍し、再び輝きを放ち始めます。
同年ロンドン五輪のバックアップメンバーに選出。
2013年に、なでしこジャパンにも復帰し、アルガルベカップに出場。
2014年は、初めてリーグ戦フル出場を果たしました。
「チームの状態や雰囲気、試合の流れが見えるようになりました。
ちょっとした変化に気づいてチームメイトに声をかけられるようになったのは、一つの発見です」
そういうコメントを残している山根選手。
W杯カナダ大会は怪我もあり、残念でしたが、これからは確実に日本のゴールマウスを守る中心的存在になるわけですから、頑張ってほしいですね。