川澄奈穂美選手を語る上で欠かせないのが、学生時代所属していたクラブチームです。
彼女の原点であり、人格形成にも大きな影響を及ぼしたであろう「林間SCレモンズ」と「大和シルフィード」でのエピソードを振り返りましょう。
川澄奈穂美選手のエピソード集?
川澄奈穂美選手、小学生時代のエピソード
3歳上の姉の影響で、幼稚園の頃からボールを蹴っていたという話は有名です。
お姉さんが一足早く林間SCレモンズに入ったときに、幼稚園児だった川澄さんもついていきました。
そこで当時コーチをしていた林間SCレモンズの加藤貞行代表にボールの蹴り方を教わったそうです。
加藤代表は、「仲間に引きずり込もうと思って(笑)」と当時のことを振り返っています。
そして、その思惑通り(?)川澄さんは小学2年生のときに林間SCレモンズへ入団します。
川澄さんの運動神経は抜群で、サッカーの腕前はみるみる上達したそうです。
やはり後にプロになる人は違いますね。
ここで川澄さんは加藤代表が思ってもみなかった仕事をします。
それは広報活動でした。
次々と友達に声をかけて林間SCレモンズの練習に参加させるようになったそうです。
今にも続く、川澄さんの人好きのする明るく前向きな性格だからこそ、周りを巻き込めたんでしょうね。
加藤代表曰く、「いろんなところから友達を呼んできてくれた」そうです。
そして、小学2年生も終わりに近づいた2月に、大きな出会いがありました。
川澄さんは雑誌の取材に応じて、
「小2の冬でしたね。チーム全員で走っている時に、一番後ろに見たこともない小さな子が走ってたんです。最初、男の子か女の子かも分からなくて……。そのあと、同じ年で、しかも女子だって分かりました(笑)。それがメグ(上尾野辺めぐみ)だったんです」
と、後になでしこジャパンでも共にプレーする上尾野辺めぐみ選手との出会いのことを語っています。
そんな上尾野辺選手との関係を同じ取材で、川澄さんはこう語っています。
「子供の時もメグがいたからサッカーが上手くなれたんです。なんて言うか……、うまく言えないですがメグは『親友』、いえ、それ以上の存在です。自分が大好きなサッカーをやっていたからこそ、出会えたのだと思います」
サッカーを通じて得た仲間を大切にしている川澄さんならでは、の言葉ですね。
そんな2人の活躍があって、小学6年生の夏(97年)、林間SCレモンズは静岡県清水市(現静岡市)で行われた「清水カップ」で優勝します。
大会MVPは、決勝戦で川澄さんからのパスを受け、ゴールを決めた上尾野辺めぐみ選手でした。
加藤代表によると当時、ボールを扱う技術は「上尾野辺を10とするなら川澄は6ぐらい」だったそうです。
でも、川澄さんには他の誰にもできないことができました。
それは人を引きつけ、引っ張っていく魅力です。
川澄さんが小学生だった1990年代は、女子サッカーがようやく普及し始めた頃です。
自主練習をさせても何をしたらいいか分からない子もいたようです。
そんな中でも、川澄さんはチームメイトの先頭に立ち、ウォーミングアップをするときに号令をかけ、ランニングも率先してやっていたそうです。
加藤代表は彼女の姿を「黙っていたことがないくらい、よくしゃべっていたよね」と思い出すそうです。
50メートル走で小学生女子としてはかなり速い7秒台後半をマークした足と同じく、口がよく動く子どもだったらしいです。
今もなでしこジャパンで、その抜群の走力を生かして相手を抜き去っていますが、小学生の頃からそうだったんですね。
川澄奈穂美選手、中学時代のエピソード
小学生のクラブチームである林間SCレモンズを退団し、川澄さんは女子サッカーの名門・読売ベレーザ(当時)の下部組織メニーナへ進むことを希望しました。
読売ベレーザには憧れの澤穂希選手がいますし、川澄さんにとってはごく自然な流れでした。
しかし、川澄さんはメニーナのセレクションで不合格の烙印を押されます。
林間SCレモンズの加藤代表は
「当然受かると思ったんだけど」
と当時のことを振り返っています。
このことで、川澄さんの進路は閉ざされかけました。
中学校の部活は女子がサッカーをする環境が整っていなかったからです。
そこで川澄さんは同じくメニーナのセレクションに落ちた仲間13人と共に考えます。
この仲間というのは神奈川のトレセン(選抜)で出会った子たちだそうです。
仲間たちと考えた末、小学校卒業間近の2月、川澄さんは加藤代表のところを訪れてこう言ったそうです。
「(シルフィードは)まだありますか、できますか」
と。
このシルフィードというのは川澄さんと上尾野辺さんが高校を卒業するまで所属することになる、神奈川県大和市の「大和シルフィード」のことです。
大和シルフィードは元々、加藤代表がご自分の娘さんのために設立したクラブだそうですが、当初から人数が集まらず自然消滅寸前だったそうです。
そこに川澄さんらが目をつけて、大和シルフィードの活動をスタートさせたそうです。
すごい行動力ですよね。
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ちなみに、川澄さんたちが第一期生となった「大和シルフィード」は、その後、日本代表を輩出し、女子サッカーが普及したこともあって規模を拡大し続けました。
ついには、2014年2月(3月1日付け)、将来のなでしこリーグ昇格を目指すトップチームを設立し、神奈川県女子サッカーリーグ1部に加入しています。
そして、2014年11月の参入決定戦(2戦2勝でグループ首位通過)を経て、2015年からなでしこチャレンジリーグに参入しています。
※なでしこチャレンジリーグは、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)の3部にあたる
小学校6年生、13人から始まった大和シルフィードが、こんなにも大きく成長していたんですね。
しかし、その成長も当初は苦難続きだったといいます。
というのも、上が誰もいない、チームの伝統も歴史もないため、すべてを手探りの状態で進めないといけなかったからです。
練習ひとつとっても、これまでと同じことをやっていては、他のチームに所属する子たちに置いて行かれますよね。
それでも、彼女たちは負けじと川澄さんを中心にまとまったそうですが、やはりそう簡単にはうまくいかなかったようです。
監督の指導の下、少年チームの練習を参考にしたり、ときには選手たちだけで考えたり、と試行錯誤の日々。
神奈川で当時から行われていた各地の「招待杯」に積極的に参加したり、年齢制限のないオープンな大会では中1だけのメンバーで高校生、ときには社会人と試合したこともあったとか。
そういった経験をするうちに、チームは強くたくましくなるのですが、全国のタイトルには手が届きませんでした。
因縁の相手である日テレ・メニーナとの試合では9点を奪われ、大敗したこともあったそうです。
しかし、それでも諦めず、粘り強く練習を重ねた彼女たちに、栄冠が輝くときがきます。