福元選手と言えば、未だに記憶に残っているロンドンオリンピック準決勝のフランス戦ですよね。
大儀見選手と阪口選手のゴールで2点を先制するも、後半怒涛のような攻撃を見せるフランスに防戦一方のなでしこジャパン。
なんと合計27本ものシュートを受け、ついに後半31分に1点をもぎとられます。
しかし、その後は福元選手を中心に猛攻をしのぎ切り、見事女子サッカー史上初の五輪メダルを確定させました。
このとき、サッカーの聖地ウェンブリースタジアムで鬼神のごとき活躍を見せた福元選手には味方やサポーターのみならず、現地のファンからも惜しみない賛辞が送られました。
今回のW杯でも、また活躍が見たいですよね。
では、プロフィールをどうぞ。
福元美穂選手のプロフィール
福元美穂
(ふくもとみほ)
生年月日:1983年10月2日
年齢:32歳
出身:鹿児島県
身長:165cm
体重:64kg
血液型:O型
愛称:ミホ ふくちゃん
所属チーム:岡山湯郷Belle
ポジション:GK
背番号:1(岡山湯郷Belle)
利き足:右足
チャームポイント : 笑顔
カラオケ18番:いつか/ゆず
ストレス解消法:ネットショッピング
子供の頃の夢:アイスクリーム屋さん
好きなスポーツ(サッカー以外):バレーボール
好物:黒豚のしゃぶしゃぶ
出身中学校:指宿市立山川中学校
出身高校:神村学園高等部普通科体育コース(鹿児島県いちき串木野市)
過去の所属チーム:
大成ツマベニレディース?山川中女子サッカー部?神村エンジェルスFC?山川サッカークラブ?神村学園高等部サッカー部
代表初召集:
朝鮮民主主義人民共和国戦(2002.10.02 第14回アジア競技大会:釜山)
代表デビュー:
ベトナム戦(2002.10.04 第14回アジア競技大会:釜山)
福元美穂選手の経歴
岡山湯郷Belle時代(2002年?)
2002年
高校を卒業した2002年、岡山湯郷Belleに入団。(当時の背番号は18番)
U-19 FIFA女子選手権に召集される
第14回アジア競技大会のベトナム戦(10月4日)でA代表デビュー
2003年
日本女子サッカーリーグ(Lリーグ)への昇格に貢献
FIFA女子ワールドカップUSA2003予選 大陸間プレーオフ(メキシコシティ、東京)の登録メンバー。
第4回FIFA女子ワールドカップ (アメリカ合衆国)のバックアップメンバーとしてチームに帯同。
2004年
アテネオリンピックにバックアップメンバーとしてチームに帯同。
2005年
代表監督が大橋浩司になり、出場機会が増える。(9試合中5試合に出場)
2006年
なでしこリーグベストイレブン。
2006 AFC女子アジアカップ(兼2007 FIFA女子ワールドカップアジア地区予選)でレギュラーを獲得。
第15回アジア競技大会(ドーハ)銀メダル。(金メダルは北朝鮮)
2007年
FIFA女子ワールドカップ中国2007予選 プレーオフ(東京、メキシコシティ)
2008年
東アジア女子サッカー選手権2008優勝
AFC女子アジアカップ3位
北京オリンピック正ゴールキーパー 4位
10月26日、なでしこリーグTASAKI戦
試合終了間際に左足アキレス腱断裂の大けがを負うもプレーを続け、2本のシュートをセーブした。
その後、半年間リハビリ生活。
2009年
4月25日、なでしこリーグ浦和戦、途中出場で復帰。
2010年
東アジア女子サッカー選手権2010優勝
AFC女子アジアカップ3位
2011年
FIFA女子ワールドカップドイツ大会優勝。
しかし、福元は海堀あゆみに正ゴールキーパーの座を奪われ、出場機会なし。
2012年
ロンドンオリンピックで代表レギュラーに返り咲き。銀メダル獲得に貢献。
2014年
アジア杯初優勝に貢献。
2015年
3月、アルガルベカップは9位に沈む。
6~7月、ワールドカップカナダ大会、準優勝。
獲得タイトル
なでしこリーグレギュラーシリーズ優勝:1回(2014年)
なでしこリーグベストイレブン:3回(2006年、2012年、2014年)
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福元美穂選手のエピソード
北京オリンピックでは、165センチとキーパーとしては小柄な福元選手を日本の弱点だとし、相手チーム(特に3位決定戦でのドイツ)はロングボール、高いクロスを多用してきました。
福元選手もよく防ぎましたが、残念ながら、次々と失点を重ね、結果はメダルに届かず。
「背の低いゴールキーパーは駄目だ」。
帰国後、そんな批判を浴びました。
そして、北京オリンピック後にはアキレス腱を断裂するという大怪我を負います。
でも、福元選手は絶対に強くなって帰って来ると決意し、そのために自分が何をすれば良いか考えます。
思い切り良く前に出るセービングと、ピッチに響き渡る的確な指示で背の低さを補ってきたが評価されなかった。
では、どうすればいいか。
福元選手は考え、身長の低さを補うためより高く跳び、高いボールをパンチングする技術を磨きました。
キャッチできないのなら、大きく弾けば致命的なピンチにはならない。
そういう判断でした。
残念ながら、2011年のW杯では海堀選手にレギュラーの座を譲りましたが、それでも腐らず、相手チームの特徴をじっくり研究して海堀選手にアドバイスしたそうです。
そして、地道な努力が実を結び、ロンドンオリンピックではレギュラーの座を奪還しました。
最後まで海堀選手とレギュラーを争いましたが、佐々木則夫監督曰く、
「(福元は)いい準備をしている。(一旦代表正GKを外れたが)大きくなって戻ってきた」
と評価され、正ゴールキーパーとして、ゴールマウスを守り、銀メダル獲得に大きく貢献しました。
冒頭でも紹介した準決勝フランス戦での活躍はとても素晴らしいとして、その年のバロンドール(年間最優秀選手賞)候補にも選ばれるほどでした。