日本女子代表チーム、なでしこジャパンで数年間にわたって主将を務めた宮間あや選手。
その卓越したテクニックと鋭い戦術眼、主将としてチームを引っ張る姿勢。
どれをとってもなでしこジャパンになくてはならないものでした。
2016年の夏に両膝を手術し、11月には当時の所属クラブ岡山湯郷ベルを退団。
現在はリハビリをしながら、所属クラブを探している段階のようです。
Contents
宮間あや選手のプロフィール
宮間あや
(みやま あや)
生年月日:1985年1月28日
年齢:32歳
出身:千葉県山武郡大網白里町(現・大網白里市)
身長:157cm
体重:50kg
血液型:B型
愛称:あや
所属チーム: なし(2016年11月に岡山湯郷Belleを退団)
ポジション:MF
背番号:なし
利き足:両足(元は右足)
好きな食べ物(好物):ラーメン
チャームポイント:ニヤリとした顔
カラオケ18番:なごり雪/イルカ
ストレス解消法:コーヒーを思う存分飲む
子供の頃の夢:サッカー選手
好きなスポーツ(サッカー以外):サーフィン(未体験)
ここだけは絶対に譲れないこと:お気に入りのマットレス(東京西川のAIR)で寝る事
出身中学校:大網白里町立白里中学校
出身高校:千葉県立幕張総合高等学校
学歴:
大網白里町立白里中学校 ⇒ 千葉県立幕張総合高等学校
宮間あや選手の経歴
生い立ち~中学時代まで
宮間文夫(現・大網白里市市議会議員)の次女として生まれる。
父は、習志野高校時代にサッカー部に所属し、全国制覇。
高校3年時には読売サッカークラブの練習に参加した経験がある。
その父が設立した『フッチボールSurf』で、小学校1年の時にサッカーを始める。
小学校5年生時、国際交流イベント「国際社会で活躍できる日本人の育成」に応募。
親善大使としてアメリカのサンディエゴでの試合を経験する。
このとき、日本サッカー協会から派遣されていた、元日本女子代表の本田美登里と出会う。
本田は、宮間ら15名の少女たちがボールを追う姿を見て、指導者の道を目指すことを決意したという。
小学校6年生時、中学1年の男子チームのメンバーとして県大会・地区予選に特例で出場。
決勝戦では延長戦の末、宮間自身がVゴールを決め優勝を果たす。
中学2年生時より、東京・稲城市のチーム「読売メニーナ(現・日テレメニーナ)」に所属。
チームへ通うことを前提に進路を決め、単位制だった幕張総合高校に進学。
1999年
中学3年時、NTVベレーザ(現「日テレ・ベレーザ」)へ昇格を果たす。
自宅?練習場までの移動時間などが負担となり、幕張総合高校2年生の時に退団。
その後、幕張総合高校で男子サッカー部の練習に参加。
しかし、規定で女子は公式戦への登録が認められなかった。
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岡山湯郷Belle時代(第一期)(2001~2008年)
2001年
高校2年生のとき、元日本女子代表、本田美登里が率いる岡山湯郷Belleに第一期生として入団。
岡山県美作市の温泉旅館『季譜の里』で、清掃のアルバイトをしながら岡山でプレーすることとなった。
2003年
FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会に出場。
L・リーグ(なでしこリーグ)でも敢闘賞を獲得した。
2004年
U-19アジア女子選手権で、主将を務める。
また同年のL・リーグでは17得点を挙げ、2部リーグ得点女王、最優秀選手に輝く。
翌シーズンの1部昇格の原動力となる。
2007年
9月11日、FIFA女子ワールドカップ・中国大会のイングランド戦(中国上海虹口足球場)における直接フリーキックによる2得点は、大きな話題となった。
日本女子サッカーリーグでは、ベストイレブンと特別表彰「サポーターが選ぶMVP」を受賞した。
2008年
東アジア女子サッカー選手権優勝。
AFC女子アジアカップ3位。
北京オリンピック4位。
アメリカ時代(2009年)
2009年
同年に発足した米国WPSのロサンゼルス・ソルに移籍。
開幕戦でリーグ創設初得点をアシスト。
シーズン通算で6アシストを記録(リーグトップタイ)、チーム内唯一のフル出場。
チームのレギュラーシーズン1位獲得(プレーオフ決勝で敗れて優勝は逃す)に貢献。
さらにWPSオールスターズにも選出され、スウェーデンの強豪クラブチーム・ウメオIKとのオールスターゲームに出場した。
シーズン終了後の9月には、前所属先の岡山湯郷Belleに一時復帰(レンタル移籍)した。
2010年
2月、ロサンゼルス・ソルがWPSからの撤退。分配ドラフトでセントルイス・アスレティカに移籍した。
しかし、セントルイス・アスレティカも資金難でWPS から脱退。
再び行われた分配ドラフトで、WPS に新規加入したアトランタ・ビートに再移籍した。
この在米時代に、ホープ・ソロ、アビー・ワンバック、カミーユ・アビリー、 カリーナ・ルブランなど、欧米の一流選手たちと交流を持ち、今日まで続く友情を深めた。
アメリカ代表GK、ホープ・ソロ選手と
WPSシーズン終了後の9月には古巣の岡山湯郷に完全移籍と、1年間で3チームに在籍した。
2009年のなでしこリーグは、WPSのロサンゼルス・ソルからのレンタル移籍という形で、9月以降出場。
岡山湯郷Belle時代(第二期)(2010年~2016年)
2010年
なでしこリーグは、WPSのアトランタ・ビートからの完全移籍という形で、9月以降出場。
2011年
FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会に出場。見事、初優勝を飾る。
フリーキックを決めた初戦のニュージーランド戦、準決勝のスウェーデン戦でプレイヤー・オブ・ザ・マッチを獲得した。
決勝のアメリカ戦では、1ゴール1アシストを記録。
敗色濃厚の後半終了間際にゴール、更に延長戦で一旦突き放されるも残り4分のところでコーナーキックから澤の芸術的なゴールを呼び込む。
激闘の末にPK戦で勝利した瞬間、宮間はアメリカの選手たちに歩み寄り、互いの健闘を称えた。
この行為はスポーツマンシップの模範として世界中から称賛された。
大会通算2ゴール4アシストの活躍で、大会オールスターチームに選出される。
W杯後の7月20日、出身地の大網白里町から大網白里町民栄誉賞が授与される。
同賞は宮間のために創られた。
また、8月17日、千葉県から千葉県民栄誉賞を受賞。
更に、8月18日、なでしこジャパンの同僚とともに、国民栄誉賞を受賞。
11月15日、なでしこジャパンの同僚とともに紫綬褒章を受ける。
11月23日、アジアサッカー連盟の2011年度女子年間最優秀選手賞受賞。
11月26日、3年ぶりになでしこリーグベストイレブンに選出。
FIFA最優秀選手賞(FIFAバロンドール)選考委員会において、宮間が12.18%のポイントを獲得し4位に入った。
(この年、FIFA女子最優秀選手受賞は澤穂希)
2012年
2月10日、澤の後任としてチーム主将に指名され、ポルトガル南部で行われるアルガルベカップ2012に臨んだ。
順位決定戦(事実上の決勝)でドイツに3-4のスコアで敗れ、準優勝。
宮間は通常、優勝チームから選出される大会MVPを獲得。
なお、第3戦でアメリカに1-0で勝ち、歴史的な勝利を挙げた。(通算成績:1勝4分21敗)
7?8月、ロンドンオリンピックで銀メダルを獲得
11月29日、アジア・サッカー連盟(AFC)から2年連続2度目の女子の最優秀選手に選出される。
2013年
2月7日、同僚の福元美穂とともに、「岡山スポーツ賞」を受賞。
2014年
5月、2014 AFC女子アジアカップ(ベトナム)ではアジアカップ初優勝。
大会MVPを受賞した。
2015年
3月、アルガルベカップは9位に沈む。
6~7月、ワールドカップカナダ大会、準優勝。
(決勝はアメリカに2-5で敗戦)
宮間は個人でブロンズボール賞を受賞。
2016年
2~3月、リオデジャネイロ五輪アジア最終予選で勝ち点7の3位(1位豪の13、2位中国の11)になり、五輪出場を逃す。
6月、両膝を手術。
7月、所属している岡山湯郷ベルの結城治男監督代行から人格否定発言を受けたとして、同クラブ退団の意志を示す。
8月、退団を撤回し、一転残留を明確にする。
11月5日、契約満了に伴い、通算15年所属した岡山湯郷ベルを退団
2017年
3月25、26日ダノンネーションズカップ(12歳以下の世界一を決める大会)の日本予選のトークショーにゲストとして参加。
久しぶりに公の場に姿を現す。
コメント
バロンドールは男子のみので女子選手には失礼。
管理人の戸坂です。
匿名さん
ご指摘ありがとうございます。
メディア報道ではFIFAバロンドール女子とありますので、この呼称が一般的なものになったものだと早合点していました。
修正しました。
ご指摘ありがとうございました。